絶対的な安心感。
2017年 12月 09日
不調や病が出てくるも治すも、人生をかたち作るも、すべては「心」なのだよね、と。
クラニオはあらゆる身体的な不調におすすめですし、不調とまではいかなくても、たとえば単純に「疲れた」ですとか、不調も病もないけれど、気持ち良いし、体も心もゆるんでラクになるから受けたい、ですとか、定期的な自己メンテナンスとして受けて、自分の心身を整えておきたい、というような理由でお受けいただくことも、もちろん大歓迎です。
実際に半分のかたは、そのような理由でお受けくださっています。
薬で抑えるというような対症療法的なものとは違いますので回数はかかりますが(先ずは4回を目安にしていただいています。詳しくはこちら)、自分で治っていく力=自己治癒力を引き上げ、根本的な治癒への大きな手助けになります。
ですが、私の中で、このためのクラニオはどうしても外せない、というものが当初からひとつありまして、それはやはり「心のため、魂のためのクラニオ」なのです。
先ほど半分のかたは身体的なメンテナンスのためにお受けくださっていると書きましたが、もう半分の方々は「心や魂のため(心の安定・魂の癒しのため)」にお受けくださっています。
ちなみに「魂」という言葉がむずかしい(あやしく感じる?笑)ようでしたら、「存在」という言葉に置き換えてみていただけたらと思います。
「心や魂が癒される」、つまりは、そのままの自分をまるごと受け入れてもらえる、その<絶対的な安心感>によってもたらされる<心身の変化>にこそ、わたしは一番重きをおきたい、ということなのです。
あなたがどんな姿をしていて、どんな人となりで、そしてこれまでどんな道のりを歩んできたのか、その一切を問わずに、あなたという「存在」=「生命」そのものを、善悪というジャッジさえも不要な世界で、まるごと受け止めることができる。
それが私の行なっているクラニオ<まくのうちセラピー>です。
そして不調や病の治癒というのも、まさしくこの先にあるものであり、むしろこれなくしては起こりえないのだと思っています。
誰にもジャッジされず、否定もされず、侵食もされない、そのような<絶対的な安心感>の中に浸っていられる世界など、この世には存在するはずがないと思ってしまうかもしれません。
ですが、たったひとつだけそんな世界があって、すべての人が必ず一度は体験している。
それはこの世界に生み落とされる前、お母さんのおなかの中にいた頃です。
そして、クラニオ<まくのうちセラピー>を受けている時の<安心感>は、まさにあの頃のものと一緒です。
お母さんのおなかの中から外に出たその瞬間から、私たちはたくさんの恐怖にさらされることになります。
それこそ目にするもの、耳にするもの、肌に触れるもの、そのすべてが未知のものであり、恐怖なのかもしれません。
だけど、パパやママ、周りの人々の導きにより、この世界には恐れるものばかりではないこと、そしてこの世界は想像以上に愛に満ちているということをひとつひとつ学んでいく、はずだった。
そう、そのはずだったのです。
だけど、現実はどうかというと、そうではなかった。
小さなうちから比較の対象にされ、競争させられたり、人並みであること(もしくは人並み以上であること)やいい子・いい人、いい妻・いい夫・いい嫁・いい婿・いい母親・いい父親、さらにはデキる社員・デキる先輩・デキる上司であることを求められたり、いい学校・いい会社に入らないといい就職はできないなどと思わされたり、会社をやめたら生きていけなくなる、失敗したらみっともない、お金がないと幸せになれない、などと脅されたり。
そのような恐怖や脅しにさらされているうちに、人からどう評価されるかだけが自分という存在の価値を計る指標となってしまい、期待に応えられていない(であろう)自分、周りから価値がないと思われている(であろう)自分を自分で卑下してしまう。
その想いこそが、自らを攻撃し、結果として体や心の不調として表出する。
そんなところなのだろうなと思います。
もちろん、人によって自己卑下を生じさせている状況(根本的な原因)はさまざまですが(ご本人が自己卑下をしているなんて夢にも思っていない場合もありますね)、不調や病が表出しているというのは、少なからず「本心を言えない(隠した)状況で、長いことがまんをしている」ということなのではないかなと思っています。
ちなみに、甘いものや小麦、お酒などを摂取しすぎているという生活習慣が不調や病の原因ということもありますが、ではその甘いものや小麦、お酒などを必要以上に摂ってしまうその裏にはどんな心があるのか。
たとえば満たされていない何かがあって、その代償行為ということはないのか、など、やっぱり心につながっていく気がします。
「自己肯定できる」とは、自分で自分を<絶対的な安心感>で抱きしめることができるかどうか、ということなのですが、これまで生きてきたなかで心に大きな傷を幾度となく負っていたりすると、これがなかなかできなかったりします。
経験のあるかたなら、わかることなのですが、いきなり心で心をコントロールしようとしても、そうそううまくはいかないのです。
(ちなみに、自己肯定とか自尊心って、わたしってすご〜い!と思えるということではなく、自分を尊重できること、自分を認め・受け入れてあげられること、つまりはデキる自分もダメな自分も、強い自分も弱い自分も、もう、どんな自分でもいいんだよと言ってあげられることです)
だけれども、そんなときに大きな力となるのが、体からのアプローチです。
自分の「存在」「生命」そのものを抱きしめ、尊重してくれるかのようなクラニオ<まくのうちセラピー>の手が、傷ついた心を次第に再生させていきます。
しかもまくのうちセラピーのクラニオにおいては、一切の操作も介入もすることなく、です。
これ、一般的なクラニオとの大きな違いなのです(操作や介入については、セッションをお受けくださった方や講座を受講いただいた方にご説明しておりますので、ここでは省かせていただきますね)。
そしてそんな<絶対的な安心感>の中に身を置いた時に、人間の生命力・自己治癒力は最大限に発揮される、というのが<まくのうちセラピー>の考え方です。
わたしはクラニオを治療としておこなっているわけではないので、治療家さんのようなわかりやすさ、いわゆる、治してくださーい!、はい、治したよ!といった、出前一丁的なわかりやすさというのでしょうかね、そういう部分には欠けるのかもしれません。(治癒力を信頼しているがゆえに、操作や介入をするということにわたし自身、抵抗があるのだと思います)
施術者が余計なことはしなくとも、お母さんのおなかの中にいた時のような<絶対的な安心感>を皮膚からただただ感じさせてあげられれば、やがて人の心は「自尊心」を取り戻し、それによって身体的な不調も次第に平癒。
再び自分らしく生き生きと健やかに歩き出せるようになれる。
これは、日々クラニオをし、皆さまのお姿を拝見させていただきながら、はっきりと感じていることです。
なんだか重めの話になってしまったかもしれません。
ですが心のことについては、いま、何らかの理由で自分の「存在」がぞんざいに扱われていてつらく悲しいという方、または自分で自分を受け入れることができずに苦しいという方のために、書いておきたいと思いました。
もちろん、夫ぎみやお子さんにイライラしてしまう、義理のお父さまやお母さまに言いたいことが言えない、仕事の人間関係がヘビー、といったような、日々積み重なる小さなストレスを解消するのにも(感情の解放)、クラニオは最適です。
積もれば積もるほど、心も体もちぐはぐ度を増し、しんどくなっていきますしね。
誰にも話せないことであるならば、わたしに話す必要もありません。
ただただクラニオ(まくのうちセラピー)の手による<絶対的な安心感>に浸ってくだされば、万事OKです。
あとは体がすべてやってくれますから。
健やかな心あっての、健やかな体。と、自分にも言い聞かせつつ、相変わらず長すぎる文章を終わりにしようと思います。
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1日最低3名様でお集まりいただけましたら、レンタカーを借りるなどしてお伺いいたします。なお、マッサージテーブルがなくても、お布団さえあれば、どこでもクラニオできます。詳細はお問い合わせくださいませ。
<1月の関東クラニオ出張>
次回の関東クラニオ出張は、1月5日(金)〜9日(火)に行わせていただきます。場所は、神奈川(横浜白楽と葉山)、東京・豊洲(木場/越中島)は今回お休みをさせていただき、東京・表参道(渋谷)、東京・祐天寺、New! 東京・要町(池袋)、埼玉・坂戸の全4箇所にて。熊本の美味しいお土産付きです。はじめましての方も、どうぞ遠慮なくお越しくださいませ。詳細・ご予約はこちらです。
2月17日(土)〜22日(木)にて行わせていただきます。場所は、東京・表参道(渋谷)、東京・祐天寺、東京・豊洲(木場/越中島)、神奈川・横浜白楽、神奈川・葉山、東京・豊洲(木場/越中島)、埼玉・坂戸の6箇所にて。状況によって、東京・要町も加わるかも。詳細・ご予約はこちらです。