『愛とためらいの哲学』
2018年 06月 16日
あなたの愛は、なぜ幸福をもたらさないのか。
表紙下(一見、帯っぽいけど表紙です)のこの一文に目が留まり、気がついたら買ってました。
わたしは恋やら愛やらについては、エーリッヒ・フロムの『愛するということ』に書かれてあることを全面的に支持しているのですが、この本には、そのフロムをはじめ、アドラーやプラトンなど心理学や哲学の巨人たちの言葉を引用しながら、幸せな恋愛や結婚生活を送る(人間関係を築く)には、どうしたらよいかが書かれています。
その答えを一言で言ってしまえば、「どうしたら愛されるか」ばかりを考えるのではなく、「どう愛するか(愛する技術)」こそを学ぶべきだ、ということ。
これは前出のフロムの書に書かれてあることなのですが、たとえば大工になるには大工の技術を学ばなければならないように、愛するにも技術があり、それを学ぶ必要があるということです。
言葉を変えるなら、二人の愛がうまくいくのも、いかないのも、たまたまそうなるわけではない、ということでもあります。
誰もが高校生ぐらいのときに、ここに書かれていることを学べていたら、明らかに人生違っていただろうなあと思わずにいられません。
それくらい、私たちは愛について無知なんだと思います。
そしてフロムによれば、「ひとりでいられるようになることは、愛することができるようになるための一つの必須条件」とのこと。
わたしはあまりに未熟な人間だったので、もう長いことひとり修行を経験しています。
(とはいえ、この先も恋愛はしますし、今もしています。結婚していないだけで、気の毒がられたりしてしまうのですが、わたしはいたって幸せです。)
前出のフロムはじめ、いろいろな本を読んで学びすぎて、ここ最近はひとりで生きていても、さみしさを感じることがなくなってきてしまいました。
学生の頃から頭でっかちだったので、少なからず婚姻制度というものに疑問を感じていたところもありましたし、最近はますます結婚はしなくてもいいかなとも思ってしまっています。
さらに申し上げるならば、ふたりの関係を表す言葉、夫婦とか恋人とかパートナーとか、そういう表向きのワードさえもなんだか無意味に思えてきてしまって。
なぜなら真の信頼関係がふたりの間に築かれていれば、外に対する承認欲求なんて抱く必要がないと思うからです。
成熟した人間同士なら、結婚という制度に乗らずとも、そして一緒に暮らさなくても、良きパートナーシップは築けるはずだと思っています。
ただし、二人が一緒にいることの目的や意味を、二人共がしっかりと把握し共有していることが必要で、ただ好きだから一緒にいたい、だけで始めてしまうのは相当厳しいと思います。
それは結婚というかたちをとるにしても、とらないにしても、どちらにしてもです。
そういう意味では、幸せイメージだけで人々に幻想を抱かせちゃう結婚産業も罪深い存在ですよね。
愛と信頼の関係には、いろいろなかたちがあってしかるべき。
少なくともわたしは、好きなひとの近くにいすぎると関係をダメにしてしまうタイプのようなので、そういうかたちのほうが向いてそうです。
ひと昔前、愛は3年だか4年で終わるという説が世を騒がせましたが、先日クラニオの師匠から聞いた「一夫一婦制の婚姻制度は生物学的にそぐわない。だからこれだけ離婚が多いのも、仕方のないことではある」という話も頭をよぎります。
生き物としてのオスのDNAには、子孫を未来に残し、繁栄させるという使命がインプットされている。
だから制度で縛ったところで、どうにかなるものではないということ。
だからこそ愛の炎を灯し続けるためには、二人の絶え間ない協力が重要になってくる。
だけどこれも、二人揃ってこのことを理解していれば可能な話ですが、その足並みが揃わないなら、結局愛は長続きしないのでしょうね。
そういうわけで、そのような事態に陥らないためにも、結婚前にパートナーにもこういった本を読んでおいてもらうのがいいのかもしれません。
二人の愛を長持ちさせるために、どんなことを心得て、具体的にどういう協力体制をとっていったらよいかが丁寧に書かれていて、おすすめです。
ひとつだけここで一歩踏み込んだ話をするならば、お互いを、パパ・ママやお父さん・お母さんと呼ぶのは避けたほうがよいでしょう。
個人的には、フロムの『愛するということ』も、合わせて読んでみていただきたいところではあります。
座学による愛の学びも、人類必須にするべきだと思えてなりません。
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